昭和50年代後半にあった私の修羅場。
小学校に入学時からバス通学をしていた。
家の最寄りのバス停から駅まで乗って
駅で違うバスに乗り換え、小学校近くのバス停で降りて学校に行く。
入学してから数ヵ月はバス通学には母が付き添いし、
慣れてくると帰りは家の最寄のバス停で母が待つスタンスになってた。
小学校1年の終わり頃、風邪をひいて数日休んで学校に行ったが、
体調が万全でないため給食後に医者から貰った薬を飲んでた。
駅でバスを乗り換えて乗ったのはいいが、猛烈な眠気がきて寝てしまった。
母は、乗ってるはずのバスから私が下りてこないし、
次のバスにも次のも乗っていない。
母は血の気が引いて家に戻り、学校に電話して
連絡を受けた担任は私が寄り道してないか探し回り、母も探してた。
その頃、バスで目が覚めた私は周りの景色が違うことから
乗り過ごしたことに気づき、どうしようと思ったが、
「あ、反対側のバスに乗れば戻れるのでは」と考えてバスを降りた。
降りて反対側の道路に渡ったのはいいが、肝心のバス停が見つからず、
分からなくなってしまい私は泣きだした。
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私の通う中学の卒業式に見知らぬ男子とその両親と祖父母と思われる人が来た。その人達が来た途端先生達は慌てて彼らに話しかけたようだった。
小学生の息子が大病を患って数か月入院していた時に、クラスメイトのある子が学校で息子のタヒを願うような悪口を言って問題になった。
その時に、小学生の高学年の女の子に
どうしたのと声を掛けられて迷ってしまったことを話した。
その女の子に連れて行かれた所は理容室でその女の子の家だった。
記憶がおぼろげになっているので間違ってるかもしれないけど
ご両親と中学生のお姉さんと、小学生の女の子2人だったと思う。
泣きながらも説明したら、ご両親は私の名札にあった学校の名前と
私が覚えていた家の電話番号で探していた母と担任に連絡が付き、
担任と母が私を保護してくれた理容室に車で来てくれて、
理容室の方々に頭を下げて、無事に家に帰ることが出来た。
母に何で遠くまで行ったのかと聞かれ、
バスの中で寝てしまって目が覚めたら遠くに行ったことに気づいて
反対側の道路にあるバス停に行ってバスに乗れば戻れると思ってバスを降りたけど、
反対側にあるバス停が見つからず、迷ってしまったと話した。
母は眠ってしまったのは薬の副作用だから気を付けなさいと怒られたが、
次の日、担任にはめちゃくちゃ怒られた。
その後、昼食後には体調が悪かろうが薬を飲むことはなかった。
何年かたって母とその話になって地名を教えてくれた。
地名を調べてみたら3つの市を越えた所にある市にあり、
当時乗っていて今もある○○行きのバスで1時間20分かかるところだった。
数十年たってるので、街並みも多分変わってるけど
バスから降りて反対側にまわる為に渡った道路が大きめの道路だったのを覚えてたので
教えてくれた地名に大きめの道路があったので
その周辺を見てみると降りたところだと思われるバス停がありました。
反対側のバス停を見てみるとそのバス停よりかなり離れていました。
あれから数十年以上経ち、母もすでに亡く、記憶もおぼろげになっていますが、
あの時助けてくれた理容室のご両親と娘さん達には感謝してる。
7歳の時の修羅場だったけど、母も担任の先生も修羅場でした。
終わり。
遅レスだけど、お世話になった理髪店は訪ねなかったの?
バス停からどう行ったかは覚えてないか。
あの時、泣いてたし、気づいたら理容室だったので、
どこをどう歩いたのかも覚えてないんだ。
母と当時の話になった時、
お世話になった理容室のご両親と娘さん達にお礼を言いたいねって話はあったんだけど、
色々とあったのと母が病弱がちになってそれどころじゃなくなった。
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